"HOME"
iPadが壊れ、スマートフォンも持ってない最近。
不便は不便だけど、その分本を読むし、良く昔のCDを聞くようになったし、紙の新聞を毎日読むようになった。
今のところiPad修理しなくてもいいかなー。
このまましばらく、ガジェットから離れていようかなと検討中。
最近読み終わった本。
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今のところiPad修理しなくてもいいかなー。
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最近読み終わった本。
ノーベル賞作家 トニ・モリスン
トニモリスンの作品を読むのは3つ目。
この作品を手に取ったのは、翻訳に少しだけ関わらせてもらったアカデミックペーパーにこの本の一節とその訳が載っていて、興味をそそられたから。
"Whose house is this?
Whose night keeps out the light
In here?
Say, who owns this house?
It's not mine.
---
This house is strange.
Its shadows lie.
Say, tell me, why does its lock fit my key? "
この最後の文が日本語の訳では
「ねえ、教えて。どうして私の鍵が錠前に合うの?」となっていた。細かいと言われるかもしれないけど、私はこの文の主語の入れ替えがすごく気になった。もし、英語の文構造をそのままに訳するなら、
「どうしてこの錠前は私の鍵に合うの?」という訳出。そこを「私の鍵が錠前に合う」としたのはどうしてだろう?
《以下、ネタばれあり》
物語は、米国ジョージアのロータスで生まれ育ったフランクとその妹シーを中心に進む。フランクが筆者に向けて語るイタリックの書体のページがところどころに挟まれて、筆者としての「モリスン」と、語り手としての「フランクとしてのモリスン」が同時に同じ物語を語る。
フランクは小さな町で育ち、妹をとてもかわいがっていた。妹は複雑な家庭環境の下、祖母にいじめられて育った。朝鮮戦争にフランクは、同郷の友人2人と志願して出征し、置いてけぼりになった妹のシーは、初めて出来た恋人と半ば駆け落ちのようにふるさとを離れる。
フランクは朝鮮戦争で親友2人をなくし、帰国後はPTSDに悩まされ、精神病院に入れられるが、逃走。シーは彼氏に裏切られ、仕事先で医者の虐待(人体実験?)に利用され、衰弱していく。この物語はフランクとシーのふるさとまでの旅路、彼らにとってふるさと、「HOME」とは一体なんなのか、を描く。
初めはフランクを中心に物語が展開するが、後半、物語を引っ張るのはシー。そして、最後にはシーが独立した1人の人間として、強く生きていく姿が描かれる。2人のナレティブどちらにも、大きな役割を果たすのは女性たち。フランクが朝鮮で殺した女の子、フランクの恋人達、シーを助けるロータスの女性達。
"You young and a woman and there's serious limitations in both, but you're a person too. (p.127)"
訳のこと。
作品を読み終わって、数日考えてみたけれど、やっぱり、私にとっては「この錠前が私の鍵に合うのか」という、英語の文構造の方がしっくりいく。2人ともが自ら去ったロータスと言うふるさと、生まれ育った家。
2人の抱える多くのもの、その全てを飲みこんでも、ドアが開く家。変化したと感じる自分の持つ鍵を受け入れる錠前。そういうニュアンスを英語の表現から私は解釈する。だけど、同時に日本語としては「私の鍵が錠前に合う」の方が自然だと言うことも分かる。
訳者の人が日本語のナチュラルさを考慮して変えたのか、ほかに何か理由が有るのか、もうちょっと考えたい。
もう一点、読み終わって。
はじめ、このパッセージを読んだとき、時制にはあまり注意を払わなかったけれど、
Whose house is this?
など、ほとんどが現在時制なのに対し、一部分だけ過去形で書かれているところがある。
I dreamed another, sweeter, brighter
with a view of lakes crossed in painted boats,
Of fields wide as arms open for me.
この部分のあと、時制はまた戻り、
This house is strange.
Its shadows lie.
Say, tell me, why does its lock fit my key?
この物語のタイトルページよりも先に挿入されているこのパッセージ全体は、外の世界への憧れ、その世界で受けた傷、過去のトラウマや現在の"strange"な感覚への問いかけだけのではなくて、それよりも、
錠前が自分の鍵に合う、
で、それからどうなる?
それからどうする?
そのドアの向こうへの誘いの役割も担っていることに気がついた。
もっと他にもたくさん考えたいことがある。トニモリスンは、短くて比較的シンプルな表現で胸の奥をぐいっと掴んで話さない。油断させといて痛いところをどしんと打つ感じ。
やっぱりすごい。
Heart breaking and hopeful.
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