ゆくれり
沈んでいた気分を変えてくれたのは、
ウクレレ。
英語の発音、ゆくれりぃって感じですよね。変なの。
タッピがウクレレ好きなので、一緒に遊ぶのだけど、
こんなに毎日触ってるから、チュートリアルでも見て練習しようと思い立ち、
じゃかじゃかしていたら、右の人差し指の豆と引き換えに、気持ちが晴れた。
仕事から帰ってきたマイケルが、ギターを片手にリビングに入ってきて、
久しぶりに二人で音楽した。
付き合って初めて二人でギター弾いた日、思い出したー。
マイケルのおうちに友達の時初めてお邪魔したのも、ギターを習うためだった。
ウクレレを弾きながら、久しぶりに聴きたくなったのが、
アマンダ・パーマー。
彼女は私にとっての、ザ・アメリカ。
コロラドで付き合っていた人の影響で聴き始め、トロントでライブにも行った。
ライブの時、投げたのをキャッチしたカーネーション、押し花にしてまだ持ってる。
ごメシスキャンダルがあった時の彼女の対応が後手後手でちょっと離れていたのだけど、アマンダ・パーマーのウクレレ、聞きたい!!
すごいマイナーな、「ガガ。パーマー。マドンナ」っていう曲が私は好きなのです。
数年前になんかアートについてのコントラバーシーがあって、内容は忘れたのだけど、それに対する反応としてアマンダパーマーが曲を作って歌ったのがすごく印象に残っていて。
アマンダパーマーは普通ピアノなのに、その時はウクレレだったから印象が強かったのかな?歌詞も面白いので訳してみました。よかったら聞いてみてね。
ウクレレ。
英語の発音、ゆくれりぃって感じですよね。変なの。
タッピがウクレレ好きなので、一緒に遊ぶのだけど、
こんなに毎日触ってるから、チュートリアルでも見て練習しようと思い立ち、
じゃかじゃかしていたら、右の人差し指の豆と引き換えに、気持ちが晴れた。
仕事から帰ってきたマイケルが、ギターを片手にリビングに入ってきて、
久しぶりに二人で音楽した。
付き合って初めて二人でギター弾いた日、思い出したー。
マイケルのおうちに友達の時初めてお邪魔したのも、ギターを習うためだった。
ウクレレを弾きながら、久しぶりに聴きたくなったのが、
アマンダ・パーマー。
彼女は私にとっての、ザ・アメリカ。
コロラドで付き合っていた人の影響で聴き始め、トロントでライブにも行った。
ライブの時、投げたのをキャッチしたカーネーション、押し花にしてまだ持ってる。
ごメシスキャンダルがあった時の彼女の対応が後手後手でちょっと離れていたのだけど、アマンダ・パーマーのウクレレ、聞きたい!!
すごいマイナーな、「ガガ。パーマー。マドンナ」っていう曲が私は好きなのです。
数年前になんかアートについてのコントラバーシーがあって、内容は忘れたのだけど、それに対する反応としてアマンダパーマーが曲を作って歌ったのがすごく印象に残っていて。
アマンダパーマーは普通ピアノなのに、その時はウクレレだったから印象が強かったのかな?歌詞も面白いので訳してみました。よかったら聞いてみてね。
ガガ、パーマー、マドンナ きつね訳
彼女は音楽の連続体に属していて、
この難しい世の中にも属してる
アルミでできたアウトフィットを着て、
彼女は23、彼女は23、彼女は23歳半の女の子
私もこの音楽の連続体に属していて、
この難しい世の中にも属してる
よく裸でアコーディオンを弾くの。
私は33、私は33、私は33歳半の女の子
彼女も音楽の連続体に属していて、
この難しい世の中の一員。
彼女が最初に服を着ずに出た人で、
今彼女は53歳、ではなくてまだ50歳。だけど彼女にも登場してもらったのは、よくこの歌に合うから。
こんな具合に、アートって自由になんだってできるの。ポップミュージックを作っても、アヒルの絵を描いてもいい。だけど女性のポップスターって、女性ってだけで批判の対象になって、あんたの音楽最悪だって言われやすいよね。
ポップミュージックを作るのって、誰でもできることじゃない。
いや、本当は、誰にでもできること。だから「ポップミュージック」って言われるんだよね。なんか頭が混乱してきちゃった。新しい節を始めてこんな風に歌ってみるね。
愛と何気ないことを表現するために生きるアーティストがいれば、ファッションと名声に生きるアーティストもいる。その両方を手に入れようとする人もいるけど、それは不可能。そうする人たちを私は勇敢だなって思う。
アートってシンプル。アンディ・ワーホールに聞いてみて?もし彼がまだ死んでなかったら、真実を教えてくれるはず。大作と呼んでくれても、便器だと呼んでくれてもいいさ。どっちでもいいんだ。アートなんだから、誰に何も証明しなくていい。
この歌で言いたいことが何だったかわからなくなってきたけど、別に何を言わなくてもいいんだよね。素敵なライミングはできたけど。レディ・ガガやマドンナみたいに。私はただ人々を楽しませて、大嫌いな仕事をせずに、家賃が払えて、もっと言うなら私の音楽を聞いて、愛して受け入れてくれる人たちがいて、その人たちが「パフォーマーになりたいなんて、ただのナルシストだな」って思わずに、心の中に安らぎを見つけてくれれば、それで十分。
それでは、私たちの会話を進めましょう。議題は「すべての芸術は本物の芸術で、ポップアートは芸術なのか?」才能のある人がポップミュージックを作りたくて作るのなら、それはそれでいいじゃない?どうして騒ぐ必要があるの?他にたくさんのことがすっごくおかしな世界に住んでいるのに。
この曲を書いてユーチューブにまっすぐ上げるのは、ブログを書くより手っ取り早かったです。もしかしたらこういうの、またやっていくかも。どんどんコメントしてね。特に、反対意見がある人は大歓迎!
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