I'm many things buried in books.

Born and raised in Japan, lived in Colorado USA for a year and then, in Toronto, Canada for seven years, Tokyo for three years, Edmonton for a year and now we're in Hong Kong!I translate for living. I write for passion. (I translate for passion, too) I'm many things buried in books.

2024年5月5日日曜日

日記

ゲラを戻してからは通常の訳出スケジュールに戻り、映像作品なども受注しながら忙しくしていたのですが、不注意でノート型パソコンを床に落としてしまい、インターネット接続ができなくなっていました……。その週はイヤホン片方をトイレに流したり、プラスチック製のウォーターボトルを熱湯で溶かしたりと、不注意でいろいろとやらかした。

秋か来年の冬から少し違う仕事もしてみようかなと思っていて、そこでノート型パソコンは買い換えたいので 今は大きなアンテナみたいなものを取りつけて、なんとかネットにつないでいます。

「ドレスアップの日」にミイラのかっこうをすると言い張った5歳児

ここ3週間ほど広東語で日記をつけています。レッスンのときに音読をして文章の内容と発音を先生に確認してもらう。子供と一緒に釣り人を見るのが好きだと話したら、なぜか釣竿をくれたので、釣りも始めました。香港は釣りをする人がとても多くて、魚が釣れなくても、釣竿をさげて座っていたらいろんな人と話せるだろうなと思っていたので、うれしかった。

そして6歳児が転校し、朝6時半にスクールバスに乗っていくようになりました。わたしは5時半に起床、洗濯をすませて弁当を作り、彼をバス停まで送ってから4キロほど走り、シャワーを浴びて、5歳児を幼稚園に送り届けて、残りの家事などをしてから仕事に取り掛かります。生活のリズムが少し変わって不思議な感じ。6歳児は新しい学校がとても楽しいようです。英語と広東語のバイリンガル学校で、校庭が広く、海と山に近くて課外授業が多いことが決め手でした。勉強も大事だけど、とにかく遊んできてほしい。

今週はいよいよ最後の山場を訳すので、心臓がばくばくしています。今訳している物語は、3年ほどまえに持ち込んで、一度断られたけれど、再度持ち込んだ作品です。日本語の読者のみなさんがどんな風にこの作品を受け取るのか、いちばんいい手渡し方ができるように、悩むところがいっぱい。

2024年4月22日月曜日

閉門

 歯のチェックアップとクリーニング。なるべくゲラ終わりのタイミングで行くようにしている。フリーランスは会社での検診がないので、自分でいろいろ決めておかないと何も検査しなくなる。カナダにいたときはマイケルの病気のことばかりで、自分の体のことはほったらかしだったので、ちゃんと検診などこまめにやっていくぞ。歯は問題なしでほっとした。

マイケルと久しぶりにランチデートをしたり、大学で働くトロント時代の同僚に会ったり。香港は最近すごい雨が続いているのだけど、雨の合間を見つけてできるだけ足を動かします。

広東語の先生が教えてくれた茶果嶺村にも行ってきた。散歩好きなら行っとくべきらしい。ほんとは朝ご飯を食べたかったんだけど、あいにくお目当ての茶餐廳は臨時休業で、空腹のままぶらぶらして帰ってきた。この街は開発のために数年内に立ち退きを命じられるのではと噂されている古い家屋の集まる地域。めちゃめちゃ雰囲気がいい。天気のいい日にもう一度トライしたいな。

そして訳出している作品に戻る前に、そのあとに訳の依頼が来ている作品を読んでいる。はじめての短編集でしかもホラー!!最高すぎて、どんなふうに訳すのがいちばんいいのか、頭をぐるんぐるんさせながら読んでいます。

 

ここまで書いて、NYUのロックダウンのことを知りました。全米の大学でパレスチナへの連帯を示すためのアクションが行われている。逮捕者もかなり出ている様子です。教授たちが盾になっている様子も見られます。

2024年4月17日水曜日

中環

 視界が開けた感じがすごい。潜って隠れて、浮上して、ぷかぷかしてたけど、また泳ぎ始めたような感覚。

香港の文学イベントのディレクターとのミーティングで、エマ・ドナヒューやエミリー・セントジョンマンデルなどの名前が出てきて、いつか香港で会えるのかもしれないなあとぼんやり想像でき、うれしくなった。文学イベントにしても、やはりローカルの人とエクスパットのあいだの溝は大きいと感じる。

セントラル

ゲラ作業が大詰めを迎えているけれど、子供たちの転校に向けての準備もいそがしい。広東語を使う機会も増え、ぐんとリスニング力が高まってきた感じがする。広東語の勉強を始めてから、今週ははじめて授業を休んだ。そのぶん、短い日記をつけ始めた。来週先生に会ったときに質問したいことがたくさん。「どのくらい質問してくれるか楽しみにしてるよ」と先生からメッセージが来ており、もうすでにノート1ページ分ある質問がどこまで増えるかわたしも楽しみです。

明日も朝走るので、日付が変わる前に寝ます。おやすみなさい。

2024年4月14日日曜日

好好味

 香港では朝食を外食する人が多い。かなり早くから開いているレストランや食堂があり、粥、飲茶、フレンチトースト、インスタントラーメン、オムレツなど幅広い物を幅広い年齢層の人が食べている。

わたしの家の近くにも飲茶屋さんがあり、そこは7時半からお粥のモーニングをやっている。ずっと行ってみたかったので、子供たちを学校に送った後にママ友を誘って行ってきた。センチュリーエッグが入ったお粥に挑戦。濃厚な味でなんだかすぐに満腹になってしまった。

今週は友人宅のバーベキューパーティーにも呼ばれていたので、そこでもたらふく食べて、なんだか香港では日々、食べている気がする……去年の秋、風邪をひいて多忙で体重がかなり落ちたのだけど、ここまででおそらく全回復してるはず。香港はパンもおいしいし、餅もおいしいし。(食べるために走っているといっても過言ではない)。

バーベキュー

最近は日中の日差しがきつくなってきたので、夜、子供たちと散歩している。夜、釣りをする人が多くて、話しかけると楽しそうに会話に応じてくれる。香港では釣りをしてみたいなと思っていたので、毎晩出かけて見て学ぼうかな。広東語の練習にもなるし、一石二鳥かもしれない(が、虫刺されが怖いのでしっかり対策していく)。

ゲラが到着し、香港の出版業界の人とはじめての面接もあり、かなり忙しくなる今週。散歩や運動の時間は確保しながら、がんばる。

2024年4月8日月曜日

有時

 春休みが終わり、ヘルパーさんも帰ってきて、長い長い、日中仕事ができない期間が終わりました。反動なのか、今日20ページくらい訳した。今訳しているところは感情の動きがすごくて、訳しながら泣いてしまう。シェアオフィスで作業しているので、人目は一応気になるのだけど、涙が出るから仕方ない。連日ぼろぼろ泣きながらバチバチタイピングしているわたしは、いったい何をしている人だと思われているのだろうか……

気温が高くなってきて走れるか不安だったけれど、湿度90パーセントこえる海沿いの道をちゃんと朝走っているよ。週4。そのほかの日は地味に筋トレなどしています。座っている時間が長い仕事なので、給水、休憩、運動は意識してやっていかないと、すぐに体を壊してしまう。

春休みの最後は、広東語の先生に勧められた金魚マーケットに行ってきた。やっぱり狭い場所に生き物がいっぱい集められているのを見ると、心が曇るのだけど、そこにずっと食べて見たかった臭豆腐の屋台が……! ずっと見てみたかった香港アイスクリームトラックが……! 結局また食べ歩きのようになりました。

「ココが臭いのは魚のせいでも鳥のフンのせいでもブタの内臓のせいでもなくて臭豆腐のせいだからな!」という看板が臭豆腐屋さんのとなりの魚屋さんにかかっていたよ。

匂いはほんとにあの、臭いです。だけどふつうに豆腐の味でおいしかった!
 




そして何となく入ったレコードショップが大当たりで、レコードを聴きながら生ビールが飲め、子供にやさしいというパラダイス。珍しくCDもたくさん売ってあって、子供たちに人生さいしょのCDをプレゼントすることに。8歳児が選んだのはデイビッド・ボウイの『David Bowie』、5歳児はテイラー・スウィフトの『1989』を選びました。5歳児がBorisの『Pink』と悩んでいるのを見て、店員さんが「すごいセンシティブな耳の持ち主なんだね」と言っていた。マイケルが「子どものための歌」があまり好きではなくて、生まれたときからずっとイギーポップやら二ナシモンやらで寝かしつけられてきた子供たちは、わたしよりも音楽に詳しいかもしれない。家に帰って、わたしのCDプレイヤーで交互にアルバムをかけあっている姿が超絶かわいかった。ダンスパーティーに参加したい気持ちをぐっとこらえ、ドア口からこっそり見てたよ(←やめろ)。

春休みは大変だったけど、すごく有意義で、自分の育児自体もかなり見直すことができ、子供たちと同じ屋根の下で暮らせる限られた日々をちゃんと向き合って生きていこうって、思いました。子供たちと向き合うのはもちろんのこと、マイケルとも、そして自分とも。

 

2024年4月5日金曜日

Your hand

子供たちはマクドナルドが大好きで、ときどき連れていっていたけれど、イスラエルで兵士に無償提供しているというのを聞いて、我が家は行かない判断をした。子供たちにはしっかりと話をした。わたし自身も、訳者ウェブサイトを運営していたWIXの使用をやめ、ランニングのときに着用していたアンダーアーマーやプーマも使うのをやめた。できるだけ虐殺に加担しない。プロテストなどは今の場所ではできないけれど、寄付やボイコットなど、公の場で声を上げずともできる方法で。トロントでも東京でも抗議行動で積極的に街に出ていた自分にとっては、これもまた大きな変化だ。

 マクドナルドの横を通るたびに、子供たちが「絶対に食べない」と くり返すのを見て、ほんとうは食べたいのだろうなと胸が痛んだ。わたしは甘くなってつい、「今日だけは食べていいことにしようか?」と尋ねてしまったことがあった。「絶対にダメだよ。ぼくはいやだよ」ときっぱりと言う8歳児にわたしがはっとさせられた。今日、仕事中マイケルに「McDonald's pulled out from Israel!」とテキストメッセージを送った。するとそれを横で読んだ8歳児が、ほっとしたようにため息をつき、「またいつか食べれるようになるかなあ?」と言ったらしい。

イスラエルがガザで行っていることは、情報を追えば追うほど吐き気がして悲しくなってどうしようもない気持ちになる。言葉を持ち様々なことを学んできても結局何もできないと心が黒くなる。どうすればいいか分からない。どうしたって足りないとしか思えない。もう失われてしまった多くの命や尊厳や希望や未来は、今からだれが何をどうしたって取り戻すことはできない。

あなたの手に託したくもない世界なのに、あなたの手を握ると、それでも存在し続けてほしいと願わずにはいられない。

2024年4月4日木曜日

差唔多

 いろんなところに行く春休み。春休みがとても長い。長いけれど、久しぶりにゆっくりと子供たちと時間を過ごして、今まで気になっていたことや、これからどうしていけばいかとか、分かってきたような感じがする。

とにかく子供たちがかわいくてたまらない。


正直に言えば、エドモントンと香港での最初の数カ月間の生活では、子供たちとの時間が「仕事」化していて、すごく辛かった。なぜかというと、おそらくマイケルが病気だったために、それまで分担していた家事育児負担がすべてわたしに来て、ほんとうに余裕がなかったからだと思う。

やっと今、マイケルもわたしも香港に慣れて、「元気なマイケル」に慣れて、高度範囲も広がり、「悲観的マインドセット」というディフォルト設定から抜け出せたのだなと思う。ほんとにマイケルの闘病中と、手術が受けれるのか分からなかったときと、術後の在宅看病中は、どうやって自分でも乗り切ったのかよく分からないくらい疲労していたし、香港に来てからもほぼヘルパーさんなしでよくがんばってきたなと思う。その疲れが昨年末くらいからどっと出て、広東語を勉強し山に登ることで何とか自分を整えて、やっとここまで戻ってきた。うれしい。

 先週末は長州島へ行った。セントラルフェリー乗り場からフェリーで約1時間。自転車に乗ったり、海賊が宝を隠した洞窟に入ったり、楽しかった。ただ、人が多すぎたので、結局は観光地を避けて村の中の涼茶店めぐりやビーチでのシーグラス集めなんかを楽しんだ。6時間くらいいたよ。涼茶を子供たちが飲むのははじめてで、五花茶をのませたのだけど、とてもおいしいと飛び跳ねていた。


 

それから先週に引き続き、またフラワーマーケットに行った。切り花が安いので、毎週通いたい。ここでイエルバブエナも買ったよ。小説を訳していたときから、ずっと家に置きたかったのでうれしい。ここは家から電車で一時間くらい。外出するととにかく広東語の表現で分からないことがたくさんなので、メモして先生に聞く。今も相変わらず「なぜ広東語勉強するのか」尋ねられる。「数年のうちにみんな、普通語をしゃべるようになるでしょ」。

これいつも言われるけど、どういう意味なのかちゃんと考えているのだろうか。今、みんながある言語をしゃべっている場所が、他の言語にとってかわられるって、どういうことか考えてるのだろうか。それに言語って、そんなに簡単なものじゃないよ。


日記

ゲラを戻してからは通常の訳出スケジュールに戻り、映像作品なども受注しながら忙しくしていたのですが、不注意でノート型パソコンを床に落としてしまい、インターネット接続ができなくなっていました……。その週はイヤホン片方をトイレに流したり、プラスチック製のウォーターボトルを熱湯で溶かした...