Men and Women
訳の仕事をしながら、時間を見つけて読むことのリズムが出来てきた。本当なら、今は書く時期なのだけど、今月は日本にいることもあり、少しフレキシブルに、読む時間にできるだけ多く充てたい。久しぶりに、一人で迎える誕生日の前夜。30歳最後に読んだのは、村上春樹さんの短編集。最後に訳したのは釜石の津波のこと。これから30歳最後の短いお話を書く。
これからも、一つ一つ、大切に日々を歩けますように。
生かされている毎日の積み重ねに感謝。
***


ルーネンバーグの本屋さんで、勧められた、村上春樹著のMen Without Women。
洋書で、30ドル近くした。日本に帰ったら、文庫本で読もうと決めていた。650円。
最後の3話がとても好きで、この前イシグロカズオさんの短編集を読んだ時も、最後の3話がとても好きで、これは、作者や作品がどうというよりも、短編を読み続けて、その世界に自分の脳が適応しているから、なのかもしれないと思う。
「女のいない男たち」という題名だからなのか、「女は」「男は」という表現にやたら目がいった。その描写に、共感することより、ちょっとムッと反感を覚えた。なぜかはあまり考えたくなかった。私はそんなに村上春樹さんの作品を読んでいるわけでなく、気が向いたときに、もしくは、入手できるときに読む。例えば、友人の本棚にあったり、カフェの図書コーナーにあったり、今回のように、本屋さんで勧められたりした時。
そういう風に読んでいって、いつか全部読めたら、なんだか素敵。ランダムに時々読むからか、私の村上作品に対する印象はとても雑然としていて、好きなのもあれば、首をかしげて本を閉じるものもあるけれど、決まって、インスピレーションはもらう。それも、ものすごい量の「作りたくなる気持ち」をもらう。それから、脳内を支配されて、どこかに連れて行かれたような、不思議な読了感もある。
表現的なことで言えば、全然作風は違うし、読んだ言語も違うけど、今回この短編集を読みながら、所々でヴァージニア・ウールフの作品を読みながら感じた「およー、この言葉遣い、衝撃だ!」にとても似た感覚になった。あまりにもドラマチックで、くすり、としてしまう、というか。それはもちろん感嘆の笑みなのだけど。
先日読み終わった「おらおら」は、ある意味、男性を失った女性の話。書いてある内容はあまり似ていないけど、並べて読むには面白いコンビネーションだった。
お誕生日に、もしかしたら村上春樹さんの新作がもらえるかもしれないので、もらえたら、また楽しみに読もう。
これからも、一つ一つ、大切に日々を歩けますように。
生かされている毎日の積み重ねに感謝。
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ルーネンバーグの本屋さんで、勧められた、村上春樹著のMen Without Women。
洋書で、30ドル近くした。日本に帰ったら、文庫本で読もうと決めていた。650円。
最後の3話がとても好きで、この前イシグロカズオさんの短編集を読んだ時も、最後の3話がとても好きで、これは、作者や作品がどうというよりも、短編を読み続けて、その世界に自分の脳が適応しているから、なのかもしれないと思う。
「女のいない男たち」という題名だからなのか、「女は」「男は」という表現にやたら目がいった。その描写に、共感することより、ちょっとムッと反感を覚えた。なぜかはあまり考えたくなかった。私はそんなに村上春樹さんの作品を読んでいるわけでなく、気が向いたときに、もしくは、入手できるときに読む。例えば、友人の本棚にあったり、カフェの図書コーナーにあったり、今回のように、本屋さんで勧められたりした時。
そういう風に読んでいって、いつか全部読めたら、なんだか素敵。ランダムに時々読むからか、私の村上作品に対する印象はとても雑然としていて、好きなのもあれば、首をかしげて本を閉じるものもあるけれど、決まって、インスピレーションはもらう。それも、ものすごい量の「作りたくなる気持ち」をもらう。それから、脳内を支配されて、どこかに連れて行かれたような、不思議な読了感もある。
表現的なことで言えば、全然作風は違うし、読んだ言語も違うけど、今回この短編集を読みながら、所々でヴァージニア・ウールフの作品を読みながら感じた「およー、この言葉遣い、衝撃だ!」にとても似た感覚になった。あまりにもドラマチックで、くすり、としてしまう、というか。それはもちろん感嘆の笑みなのだけど。
先日読み終わった「おらおら」は、ある意味、男性を失った女性の話。書いてある内容はあまり似ていないけど、並べて読むには面白いコンビネーションだった。
お誕生日に、もしかしたら村上春樹さんの新作がもらえるかもしれないので、もらえたら、また楽しみに読もう。
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