clear as a bell



Gwendolyn MacEwenというカナダ詩人の詩集を読んでいた。二十歳前に書かれたものと、その後46歳で亡くなるまでに書かれたものの二部作。一部作を読んでいて、すごい才能に圧倒されながらも、先住民へのコロニアルな視線が強く感じられ、こういう場合、どう呼んでいいのかわからなくなる。自分の今の感覚としては受け付けられないけど、その当時の感覚(あくまでも白人としての感覚)とその芸術の中での効果はどういったものがあったのだろう、とか考え始めると(擁護するとかそういう話ではなく)、ジリジリとした気持ちになる。それから思い立って3つショートストーリーを書く。ずっと前に書いた「偽物の桜」がテーマのお話と同じシリーズ。「偽物の松」「偽物の死」「偽物の雪」を続けて書いて、そしたらまた読みたくなって、本棚に向かった。



誕生日までに「ドン・キホーテ」読めるかな?ずっと読みたかったけど、分厚くて持ち運ぶのが億劫で、後回しになっていた作品。思い切って読み始めた。ベッドの中でイントロを抜けて、第1章。ドルシネアの名前が出たところで、いきなりポンっとはじけたような感覚。

破水。

陣痛はまだなくゆっくりしていたら、30分後に陣痛が始まり、10分間隔と思いきや、5分、3分とあっという間に縮まり、焦ってタクシーを呼んでバースセンターに着いた時にはもう頭が見えていたそう。陣痛開始から2時間もかからず、スーが生まれてきてくれた。雪でタクシーがなかなか来ず、そして進まず、あわや車内で出産かと思ったので、間に合って本当に良かった。

タピの時と同じで、トロントバースセンターでお産。ここは自然分娩をのぞみ、コンプリケーションがない人にはとてもリラックスできて良い場所だと思う。タピと母とマイケルが見守ってくれて、見習いのミッドワイフ二人と、ベテランのミッドワイフが手伝ってくれ、スムーズなお産になった。本当にたくさんの人に支えられてスーの誕生を迎えることができ、感謝しかない。

産後も順調で、タピの時のような大量の出血もなかったので、それと比べるからかすごく楽に感じる。タピも新しい家族に戸惑いながら、自分の場所を確かめながら、それでもお兄ちゃんになりたくて、複雑な表情で、スーと向き合っている。一番大変なのはタピかもしれないなあ。私もタピとの二人きりの時間、恋しいなあ。

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まだ書きたいことはあったけど、なんだか疲れがどっと出てきたので、ここまで。
ドン・キホーテは分厚い本では読めないので、Eリーダーに切り替えて少しずつ読んでいます。

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