One Moment At a Time
トロントからいろんな仕事の話が来る。
タピと一緒に生活するようになり、仕事を受けるときの姿勢が変わった。
私は仕事が来ると極力NOと言わないのがポリシーだったけど、
今はノーと言う時もある。
それは必ずしも時間がないとか、そういうことではなく(もちろんそれもあるけど)、選択する何らかの基準が自分の中にできたということで、ノーと言うのは苦手だけど、精神衛生上、必要なことだなと思う。
特に翻訳のフィールドはどうかすると、安価であまり重要でない歯車だと思われがちなところがある。二ヶ国語喋るんだから、翻訳なんて簡単でしょう、と言う感じの雇い主がいるし、そう思って安いお給料でもお仕事を受ける人もいる。だけど私は(ものにもよるが)、結構一つ一つの言葉にこだわって、誤解なく届けたい(特にドキュメンタリーなどで微妙な心の揺れの表現などがあるとき)と思っているので、言葉を軽く扱う制作者と働くと、辛い。それでも自分の納得できるまでできる限り取り組むけれど。今までは自分がしなくちゃ、となんだか自分を追い込んでいたけれど、私がしなくてもいいものもある。縁があって出会ったけれど、それを手放しても別にいい、という当たり前のことに気がつき、もっと誠実に目の前のことに取り組めるようになった気がする。

英語のレッスンも、頼まれてもないのに、いつまでにこれを終わらせる!って意気込んで、生徒さんとちょっと足並みがずれて、それに気がつくことができてから、とてもいい感じ。
タピといる時も、他のことを考えていたりするとき、タピには分かるみたい。
目の前のことに精一杯。その分、ラインとかメールとかの返信は特定の時間にしかしない。フェイスブックやインスタグラムも決まった時間。
いくつもの方向から様々なディマンドがあって、自分の自由にできる時間がなくなってから、一個一個の瞬間にコミットすることの大切さを学んだように思う。
タピと一緒に生活するようになり、仕事を受けるときの姿勢が変わった。
私は仕事が来ると極力NOと言わないのがポリシーだったけど、
今はノーと言う時もある。
それは必ずしも時間がないとか、そういうことではなく(もちろんそれもあるけど)、選択する何らかの基準が自分の中にできたということで、ノーと言うのは苦手だけど、精神衛生上、必要なことだなと思う。
特に翻訳のフィールドはどうかすると、安価であまり重要でない歯車だと思われがちなところがある。二ヶ国語喋るんだから、翻訳なんて簡単でしょう、と言う感じの雇い主がいるし、そう思って安いお給料でもお仕事を受ける人もいる。だけど私は(ものにもよるが)、結構一つ一つの言葉にこだわって、誤解なく届けたい(特にドキュメンタリーなどで微妙な心の揺れの表現などがあるとき)と思っているので、言葉を軽く扱う制作者と働くと、辛い。それでも自分の納得できるまでできる限り取り組むけれど。今までは自分がしなくちゃ、となんだか自分を追い込んでいたけれど、私がしなくてもいいものもある。縁があって出会ったけれど、それを手放しても別にいい、という当たり前のことに気がつき、もっと誠実に目の前のことに取り組めるようになった気がする。

英語のレッスンも、頼まれてもないのに、いつまでにこれを終わらせる!って意気込んで、生徒さんとちょっと足並みがずれて、それに気がつくことができてから、とてもいい感じ。
タピといる時も、他のことを考えていたりするとき、タピには分かるみたい。
目の前のことに精一杯。その分、ラインとかメールとかの返信は特定の時間にしかしない。フェイスブックやインスタグラムも決まった時間。
いくつもの方向から様々なディマンドがあって、自分の自由にできる時間がなくなってから、一個一個の瞬間にコミットすることの大切さを学んだように思う。
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