belonging
締め切りが伸びた分、何度もなんども手を入れなおし、なんとか提出。
今度の原稿の締め切りは来月末。
楽しみ。
カナダデーの今日。
だけど、ファーストネーションのことを考えると、お祝いする気になれない。
もともと私は、ナショナリズムがあまり好きじゃないし、感覚としてあまり理解できないので、斜めから見てしまう。
CBCのニュースレポートで、
「カナダ人より礼儀正しい人はいないよ」と言っていて、
でもおそらく、多くの日本人がそう言うだろうし、
物差しは人それぞれで、
「日本人は〇〇」「カナダは〇〇」と言う容易に発されるステートメントには、
なんら根拠がない場合がとても多い。
違和感その2
カナダの歴史は、先住民迫害の上に成り立っている。そちらを抜きにして、お祝いするのは、やっぱり変。
「このセレブレーションに、私たちの居場所はない」って、ファーストネーションの友達が言っていた。
BCでは、カナダ150プラスと言うリブランディングで先住民への配慮をしようと言う取り組みがあるらしいけど、リブランディングでいいのか、そういう簡単な問題でもないだろうとやっぱり、思ってしまう、祝う気にはなれないのだ。
ルーネンバーグの街を歩くと、赤と白に身を包んだ人がいっぱい。
マホンベイのビスケットイーターでもそんな感じ。
花火も上がるらしい。
カナダ人の夫と、カナダ人の息子がいる。
私は日本で生まれ育ち、日本人である。カナダに住んでいる。
ということは、当然意味を持つのだけど、
今日は違和感しか感じない。赤と白の国旗を見ながら、
改めてナショナリズム、ペイトリティズムって、なんだろうなあと、
曇り空の下考えます。
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