People from Away
ノバスコシアに滞在すると、小さな町だからか、アジア人として好奇の目で見られることが多いように感じる。トロントではあんまり無いので、ちょっと変な感じ。
アジア人というより、
という、小さなコミュニティならではの内外意識が強いだけなのかもしれない。
今朝、車が故障して隣町で色々車屋さんやらレンタルショップやら回らないといけなかったけど、いく場所行く場所で、お店に入るたびに、みんなの目線ががばっと来て、じーっと見られていたので、なんだか疲れてしまった。
今日はトラブル続きで、なんだか皆がgrumpyな感じで、気を遣いすぎてちょっと疲れちゃった。。
相変らず海はきれいで癒されるけれども、
んんんんー、なんだかストレスフルな一日だった!
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アジア人というより、
"People from Away"(この地域独特の言い方。オンタリオから来た人も日本から来た人も同様にpeople from awayというラベリング。米国のメイン州でも使われるらしいので、ニューイングランドとマリタイムズで主に使われる表現なのかなー?)
という、小さなコミュニティならではの内外意識が強いだけなのかもしれない。
今朝、車が故障して隣町で色々車屋さんやらレンタルショップやら回らないといけなかったけど、いく場所行く場所で、お店に入るたびに、みんなの目線ががばっと来て、じーっと見られていたので、なんだか疲れてしまった。
今日はトラブル続きで、なんだか皆がgrumpyな感じで、気を遣いすぎてちょっと疲れちゃった。。
北米でとっても人気なGrumpy Cat
ふてくされてるのです、要は。
相変らず海はきれいで癒されるけれども、
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日本語の「ガイジン」、沖縄の「ナイチャー」に通じるメンタリティーですね。世界中、どこも地方はそんな感じなのでしょうか。
返信削除私の彼はトロント出身ですが、前回初めて日本に行った時、「全部同じ人種の環境ってのが奇妙な感じ。日本ってこんなに日本人ばかりなんだってことが驚き」と言っていて、私にはすごく新鮮な感想でした。
私自身はダイバーシティー、マルチカルチャーは理想の環境なので、そういう街に住めていることに感謝しなければいけないかもしれません。
noanoaさん、コメントをありがとうございます。
削除people from awayは「ガイジン」よりかは排他的な感じがしない言葉だと思います。「ないちゃー」は言葉のニュアンスが私には分かりかねるので、比較できませんが。
people from awayは、言葉から分かるように、結構地理的な距離感をそのまま表してるので、言われてもあんまり阻害される感じがしないというか。それよりも内輪で「仲間意識」を強調している言葉かなと私は理解しています。ここでは、あまりアジア人がいないようなので、私に対する視線も「わー、どこからきたのかな?」という好奇の目だと理解しています。
オンタリオからNSに来て長年住んでいた人が、またオンタリオに戻るときに"I'm moving back to away"という使い方をしているのも聞いたことがあり、地理的、心理的な距離をうまく「地元人」として表す言葉なのかもしれません。
どちらにせよ、私はまだこの言葉へのなじみが薄くて、ニュアンスまで深く理解してコメントするに至らないのです。すみません。
トロントのダイバーシティー、私も好きですが、移民を多く取り入れる「マルチカルチャリズム」にも多くの問題が存在し、結局マジョリティに利益を与え続けるためのシステムなのかなあと考えたりもします。
いろいろ考え中なので、また気がついたことまたコメントしていただけるとうれしいです。
「ガイジン」も「ナイチャー」も、排他的な意識だとは思わずに口にしているケースが結構あると思ってます。単に「外国から来た人」の省略で「外人」って言葉を使っている、というか。ナイチャーも同様ですね。
返信削除私としては、地元出身か地元外の出身かという定義付けがあること自体が、若干排他的な(排他的って表現は少々強すぎ。もっと適切な言葉があるのかも・・・何と言ったらいいか。)精神を含んでいるな気がするのです。なので、People from Awayもそんな風に感じたんですよね。
多分、私は子供の頃から転校が多く常にFrom Awayだったので、土地そのものへの帰属意識が薄く、地元出身かそうでないのかという目線自体が意識にないのかもしれません。なので、同じようにAwayからの人の多いバンクーバーやトロントが、居心地いいのかな。
すいません、後半はただの自己分析でした(笑)