ひらくこころ
フィリップのおうちでディナー。
彼はオーストリアの出身なのだけど、よくオーストリア料理を振舞ってくれる。大学院の入学のときからの尊敬する大好きな友達。
冬休みにペルーにユースプログラムのコーディネーターとして働きに行っていて、そのときの話もたくさん聞かせてくれた。
この一ヶ月は風邪やら、事故目撃からのストレスから家で休んでることが多くて、彼に会うことも全然無かったのだけど、
久しぶりに会って、わー、久しぶりにトロントだ!って思った。
フィリップのヨーロッパ、そして南アメリカでの経験、もう1人のゲストのバングラデシュ、オーストリアでの経験、ルームメイトのカジキスタン、ナイジェリアでの経験、
私のトロントでの生活の大部分、大学院での生活はこういう人たちに囲まれていた。
オープンで、「国際的」なんてわざわざ使わないほど、当たり前の国外とのつながり。
ペルーの歴史、どうして今、国外からソーシャルエコノミーの専門家が派遣されないといけないのか、フィリップが優しい言葉で説明してくれる。この吸収力、伝達力、優しさ、そして力強い決意に、懐かしいというか、あ、私忘れていたなというか。
われに返るようなおもい。
去年の夏以降は日本に関わる仕事が多くて、テーマもかなり重く、消化できないままトロント生活に戻り、混乱していた。トロントコンテクストでも、視界がちょっと狭くなりがちだったのかもしれない。目の前にあることを見ているようで、なんだかきつきつして、体がこわばっていた。
トラウマセラピストの先生に、体の”open”に感じるところに意識を集中させる練習をしなさいといわれた。
最初は良く分からなかったけど、マイケルが事故を目撃した後、泣くのが怖かった私に、
「きつねは、悲しさや憤りを今、心の中に硬いボールのようにして握り締めているから、少しずつ、それを開いていけば良いよ。焦らなくて、ゆっくり、開いていけるように、僕は何でもするよ。」
と言ってくれたのと、
それからフィリップの見せてくれる視界の開けたオープンさ、
スカイプで話した母の、なんだか頼もしい楽観的な私に対する期待と、
事故のことを知ってから、すぐに駆けつけてくれたナオミや、色んな友達のことば、
オープンな人たちのあたたかさが、本当にありがたい。
色んな人に支えられて、そして色んな世界の欠片につながりながら、日々の私があるんだなあって、当たり前のことを認識できた。
まだ普通の生活を送るのが、すごく疲れて、くたくたになってしまうし、相変らず首も肩も回らないくらい痛いけど、
できることを少しずつ、一つずつしていこう。
そして色んなものに埋もれてしまっていた初心。
純粋にフィリップに追いつきたいって思っていたころ、
そこからどんどん色んなチャンスで流されてブレてきた心、
ちゃんと見つめなおす良いきっかけ。
先週いけなかったダンスのレッスンのビデオを見ながら、一つ一つ、振りを確認する。
ひとつひとつ、
振りの意味、その流れ、
ついていくために、こなすだけじゃなくて、
大切にしないと、
踊れない。
彼はオーストリアの出身なのだけど、よくオーストリア料理を振舞ってくれる。大学院の入学のときからの尊敬する大好きな友達。
冬休みにペルーにユースプログラムのコーディネーターとして働きに行っていて、そのときの話もたくさん聞かせてくれた。
この一ヶ月は風邪やら、事故目撃からのストレスから家で休んでることが多くて、彼に会うことも全然無かったのだけど、
久しぶりに会って、わー、久しぶりにトロントだ!って思った。
フィリップのヨーロッパ、そして南アメリカでの経験、もう1人のゲストのバングラデシュ、オーストリアでの経験、ルームメイトのカジキスタン、ナイジェリアでの経験、
私のトロントでの生活の大部分、大学院での生活はこういう人たちに囲まれていた。
オープンで、「国際的」なんてわざわざ使わないほど、当たり前の国外とのつながり。
ペルーの歴史、どうして今、国外からソーシャルエコノミーの専門家が派遣されないといけないのか、フィリップが優しい言葉で説明してくれる。この吸収力、伝達力、優しさ、そして力強い決意に、懐かしいというか、あ、私忘れていたなというか。
われに返るようなおもい。
去年の夏以降は日本に関わる仕事が多くて、テーマもかなり重く、消化できないままトロント生活に戻り、混乱していた。トロントコンテクストでも、視界がちょっと狭くなりがちだったのかもしれない。目の前にあることを見ているようで、なんだかきつきつして、体がこわばっていた。
トラウマセラピストの先生に、体の”open”に感じるところに意識を集中させる練習をしなさいといわれた。
最初は良く分からなかったけど、マイケルが事故を目撃した後、泣くのが怖かった私に、
「きつねは、悲しさや憤りを今、心の中に硬いボールのようにして握り締めているから、少しずつ、それを開いていけば良いよ。焦らなくて、ゆっくり、開いていけるように、僕は何でもするよ。」
と言ってくれたのと、
それからフィリップの見せてくれる視界の開けたオープンさ、
スカイプで話した母の、なんだか頼もしい楽観的な私に対する期待と、
事故のことを知ってから、すぐに駆けつけてくれたナオミや、色んな友達のことば、
オープンな人たちのあたたかさが、本当にありがたい。
色んな人に支えられて、そして色んな世界の欠片につながりながら、日々の私があるんだなあって、当たり前のことを認識できた。
まだ普通の生活を送るのが、すごく疲れて、くたくたになってしまうし、相変らず首も肩も回らないくらい痛いけど、
できることを少しずつ、一つずつしていこう。
そして色んなものに埋もれてしまっていた初心。
純粋にフィリップに追いつきたいって思っていたころ、
そこからどんどん色んなチャンスで流されてブレてきた心、
ちゃんと見つめなおす良いきっかけ。
先週いけなかったダンスのレッスンのビデオを見ながら、一つ一つ、振りを確認する。
ひとつひとつ、
振りの意味、その流れ、
ついていくために、こなすだけじゃなくて、
大切にしないと、
踊れない。
きつねさん、こんにちは。
返信削除きつねさんを囲む人たち・・・友人はほんとうにオープンな方たちですね。
マイケルさんも、きつねさんのこと、とても理解しているようですし。
私はfacebookで十数年ぶりに再会(?)した小学校時代の親友と、メッセージのやりとりをして心が癒えました。実際に会えばまた違うんでしょうけどね。
最近、セラピーの原点は対話だということがわかりました。なにも「セラピー」と言い張らなくても私たちが常日頃していることなんですよね・・・。
自暴自棄になってしまったのですが、目が覚めました。
私はもう少し、心をフラットにしたいと思いました。
きつねさん、大変な思いをしてしまったようですが、サイコセラピストとマイケルさん、友人のあたたかい思いを受けて、良くなりますように。
よつばさん、
削除コメントをありがとうございます。本当に人ってありがたいですよね。
よつばさんの日記を読んで、そして、最近ちょっと苦しい思いをする中でセラピーを探っていく中で、ふと思ったのですが、癒しやセラピーって、1人の人ができるものでは無いと思います。
例えば、私は1人のセラピストの先生、マッサージセラピストの先生、お医者さん、周りの人たち。直接的にはこの人たち。間接的には、病院におかれているアロマを選んだ人、音楽を選んだ人、セラピーに行くまでの情報を教えてくれた人。
どの人からも私は癒されてるし、どの人も大切な癒しの一部ですよね。癒すって、実はとても小さなことから始まり、その小さなことの積み重ねで、結果、「癒される」っていう感情につながるんじゃないかなって思うんです。
だから、よつばさんが今されていること、もう既に誰かの癒しになっていると思います。自分がきついときに、こうやって気遣いのコメントをくださることも、私のブログを読んで、こんな感想を抱いてそれをシェアしてくださることも、よつばさんがオープンな人だからですよね。
私の知っているオープンな人たちの中には、よつばさんも入っていますよ。アップダウンがお互いありますが、頑張ってきましょう!