結婚までの歩み
☆大分前に国際結婚について書いて欲しいとメッセージを頂いていたのに、遅くなってごめんなさい。今回書いてみます。
クリスマスの季節は、マイケルと付き合い始めた季節で、色々と思い出す。
クリスマスの季節は、マイケルと付き合い始めた季節で、色々と思い出す。
コロラドに留学していた→カナダ人と結婚、と言うと多くの人は私が彼とコロラドで会ったのだと思うらしいんだけど、
私と彼が出会ったのは、佐賀。私のふるさと。
しかも、居酒屋。苦笑
コロラド留学ではコロラド出身のアナーキーなパンクアーティストと付き合っていた。色々あってジェットコースターみたいな恋愛。地で海外ドラマの中に迷い込んだような気分で、ロマンチックでドラマチック。
毎日はらはら、ドキドキ、していた。彼のことは大好きだったけど、お互い傷つけてばかり。私は泣いてばかりだったけど、それでも一緒にいたかった。お互いの求めていたものの違いから、長距離は無理だろうなと付き合ってる最中から2人で話してた。
日本に帰ってきて、覚悟していた別れだったけど、とても胸が痛かった。
それから数ヶ月、ふらふらしてた。次の目標も見失って、何がしたいか分からず、学校もやめたいって思った。コロラドに帰りたいってそればかり考えていた。
友達に誘われて渋々行った飲み会。
つまらなすぎて帰ろうかとしてたときに、背の高いびしっとスーツを着て、眼鏡をかけた人が入ってきた。友達の友達らしく、私の席の横の横に座った。
それがマイケルだった。
私達の間に座ってた人はカメラおたくで、熱く語られたけど、私には何を言ってるのかわからず、その優しそうな眼鏡の人に「助けて」目線を送っていたら、
「僕はマイケルです」
と日本語で挨拶してくれた。
それから色々と話した。主に、そのとき興味のあった研究のことを話したのを覚えてる。
とても居心地が良くてずっと話していたい、この人のこともっと知りたいと思ったけれど、彼女がいるのが分かったので、連絡先も聞かずに、私は居酒屋をあとにした。
そのときに、「もうふらふらするのはやめよう。ちゃんと自分の足で歩いて、色んな人に出会おう。」と何かふっきれた。
その後、一ヶ月くらい特にコンタクトもなく、私は普通の毎日に戻り、ときどきマイケルのことを思い出して笑顔になる日があった。そしたらある日、
「この前話してた研究に役立ちそうな本のリストです」
とフェイスブックにメッセージがマイケルから来ていた。その後、フェイスブックで本のことについてチャットしていたら、図書館で会おうということになり、週に一回ずつくらい図書館で一緒にランチを食べて本について話し合う時期が続いた。
いつの間にかマイケルは元の彼女さんと別れていた。
マイケルはカナダに帰ると分かっていたから、私はマイケルとお付き合いしたくなかった。もうお別れはこりごりだったし、またお別れの後にふらふらするにはリスクが大きい気がして怖かった。
だけど、
お別れはどこだって、誰とだって
くるもんな。
マイケルと一緒にいると、「もっと良い人間になりたい」と思えて、マイケルが私が自分の弱点だと思っていたところを良いところだと思ってくれて、
私は全然そんな風に人を想ったことがなくて、
驚くことばかり。
学ぶことがいっぱい。
どんどん惹かれていった。
気がついたらお付き合いが始まっていて、それからすぐ母に紹介。
母は
「あらー、マイケルさんは優しくてまっすぐな人ね。結婚したらよさそうね。」
と付き合ってまだ一ヶ月にも満たない私達に言い放った。
それから、マイケルがカナダに帰ることになり、恐れてた遠距離。カナダに発つ一ヶ月前にマイケルにプロポーズされた。そのとき、カナダへの航空券もくれた。
「きつねは、カナダに行った事が無いから、無茶なお願いはしたくないから、一緒に二ヶ月カナダに行ってみて、それから返事をくれたらいいよ。」
そのとき、トロントで2週間、ノバスコシアで一ヵ月半過ごし、マイケルの家族と会って、マイケルの育ったところをみた。
日本に帰ってから、遠距離一年間。
始まってみたら、寂しかったけど、怖くは無かった。マイケルがケアパッケージを毎月分残していてくれて、新しい月が始まるごとに、新しい箱を開けた。
手紙やプレゼント、思い出の写真。
そうやって一年間離れて暮らして、マイケルが日本に来たときに入籍。
結婚を決めたとき、私は22歳で、「早すぎる」とか「もったいない」とか、色々言われた。祝福してくれない人もいて、悲しかった。だけど、自分のその後の生きかたで、納得して頂こうと決意した。そして、マイケルとなら頑張れると思った。
私にとって、ふるさとと家族、そこに住む友達や家族同然の人たちはとても大切。結婚する人は絶対佐賀を良く知る人が良いと思っていた。マイケルは佐賀に3年間住んで、私の実家にも3ヶ月滞在した。もともと日本版画が大好きで、最近は幕末から明治の歴史にすごく興味が有る。今も日本に長期で住める道を探してる。
カナダと日本で離れている分、そして文化や言語環境が違う分、どちらかのキャリアや住居希望を優先した場合、大きくパートナーに不具合が生じることがある。
私達の場合も、きっとそういう局面を迎えることが有ると思う。
まだ2人とも学生で、これからどうなるのか分からないし。
もうすぐ結婚して3年記念日。
まだまだ上手にマイケルを支えられてない気がするけど、日々精進。コミュニケーションをとることを大切に、一緒にしっかり歩いていきたいな。
いつの間にかマイケルは元の彼女さんと別れていた。
マイケルはカナダに帰ると分かっていたから、私はマイケルとお付き合いしたくなかった。もうお別れはこりごりだったし、またお別れの後にふらふらするにはリスクが大きい気がして怖かった。
だけど、
お別れはどこだって、誰とだって
くるもんな。
マイケルと一緒にいると、「もっと良い人間になりたい」と思えて、マイケルが私が自分の弱点だと思っていたところを良いところだと思ってくれて、
私は全然そんな風に人を想ったことがなくて、
驚くことばかり。
学ぶことがいっぱい。
どんどん惹かれていった。
気がついたらお付き合いが始まっていて、それからすぐ母に紹介。
母は
「あらー、マイケルさんは優しくてまっすぐな人ね。結婚したらよさそうね。」
と付き合ってまだ一ヶ月にも満たない私達に言い放った。
それから、マイケルがカナダに帰ることになり、恐れてた遠距離。カナダに発つ一ヶ月前にマイケルにプロポーズされた。そのとき、カナダへの航空券もくれた。
「きつねは、カナダに行った事が無いから、無茶なお願いはしたくないから、一緒に二ヶ月カナダに行ってみて、それから返事をくれたらいいよ。」
そのとき、トロントで2週間、ノバスコシアで一ヵ月半過ごし、マイケルの家族と会って、マイケルの育ったところをみた。
日本に帰ってから、遠距離一年間。
始まってみたら、寂しかったけど、怖くは無かった。マイケルがケアパッケージを毎月分残していてくれて、新しい月が始まるごとに、新しい箱を開けた。
手紙やプレゼント、思い出の写真。
そうやって一年間離れて暮らして、マイケルが日本に来たときに入籍。
結婚を決めたとき、私は22歳で、「早すぎる」とか「もったいない」とか、色々言われた。祝福してくれない人もいて、悲しかった。だけど、自分のその後の生きかたで、納得して頂こうと決意した。そして、マイケルとなら頑張れると思った。
私にとって、ふるさとと家族、そこに住む友達や家族同然の人たちはとても大切。結婚する人は絶対佐賀を良く知る人が良いと思っていた。マイケルは佐賀に3年間住んで、私の実家にも3ヶ月滞在した。もともと日本版画が大好きで、最近は幕末から明治の歴史にすごく興味が有る。今も日本に長期で住める道を探してる。
カナダと日本で離れている分、そして文化や言語環境が違う分、どちらかのキャリアや住居希望を優先した場合、大きくパートナーに不具合が生じることがある。
私達の場合も、きっとそういう局面を迎えることが有ると思う。
まだ2人とも学生で、これからどうなるのか分からないし。
もうすぐ結婚して3年記念日。
まだまだ上手にマイケルを支えられてない気がするけど、日々精進。コミュニケーションをとることを大切に、一緒にしっかり歩いていきたいな。
素敵な出会いで素敵な時間を過ごされているのですね。
返信削除自分の時もそうでしたが、結婚をする相手と出会って、結婚が決まる時、
自分の中で結婚を決めたときって、なんか、わかるるんですよね。
この人って、本当にわかるんですよね。
すでに結婚している先輩方からよくそんな話を聞いていたけど、
本当にそれが自分の身に起きたときに、あ、これがみんなが言っていたことだ。
と、本当に思いましたもん。
これからも二人助け合い、信頼し、お互いの気持ちを尊重し、毎日に感謝し、幸せに、笑顔ですごしてくださいね!