to the funeral
ボランティア。いつものように歩く。
時間さえ許せば、どこにでも歩いて行くようにしてる。
自由に歩けるトロントの秋シーズンはもうすぐ終わりを迎えようとしている。
聞くところによれば、今週末雪ふるらしいよ!!!
今日は教室に行くと、生徒の1人が泣いていて、どうしたのかと聞くと、
ハミルトンで行われたオタワの銃撃で亡くなったNathanさんのお葬式の記事を読んでいた。
「テロ」というラベルはアンチイスラムを助長すると言う意見も。
差別が増えていると言われる中、このビデオの中ではイスラムの格好をした人が
差別的な扱いを受けたらオタワの人たちはどういう反応をするかという「社会的実験」をしたビデオ。衝撃のエンディングです。
時間さえ許せば、どこにでも歩いて行くようにしてる。
自由に歩けるトロントの秋シーズンはもうすぐ終わりを迎えようとしている。
聞くところによれば、今週末雪ふるらしいよ!!!
今日は教室に行くと、生徒の1人が泣いていて、どうしたのかと聞くと、
ハミルトンで行われたオタワの銃撃で亡くなったNathanさんのお葬式の記事を読んでいた。
The Starの記事より
オタワの銃撃で亡くなったNathan Cirilloさんの息子さん
きつねも読みなさい、と新聞をくれた。
私の友達は、カナダの兵士。お葬式のあと、偶然にトロントを訪れていた彼に会った。
たくさんいる軍人の中で、あまり普通は名前を覚えていないのに、ニュースで彼の名前を見たとき、顔がすぐに浮かんで、不思議だったと彼は言った。
お葬式に彼は出席したのだけど、そのときに、
「ああ、ネーサンはいつも笑っていて、すごくいい奴だったから、よく記憶に残ってるんだ」
と思ったんだって。
最近数件起こっているカナダ兵士をターゲットにした事件で、みんな少し不安な気持ちを感じているけど、それをお互いに支えあっているとその友達は教えてくれた。
「だけど、この事件を”テロリズム”とか”テロ”とか安易に呼んで欲しくない」と加えた。
これは、事件後、様々な人が既に言っていることではある。
その理由は様々。まず事件初めの段階では、犯人像がはっきりせず、
「先住民か、アフリカ系か、イスラム系」という大雑把なくくりで、「反体制のテロ」であるという報道がなされた。先住民の団体の多くがそういった報道は、偏見先行型であり全くもって遺憾であるという声明を出した。
犯人が「カナダ生まれでカナダ育ち」の白人だと分かると、その後報道は彼の犯罪歴、ドラッグ使用歴などにスポットを当て、
そしてイスラムとどう関係があったかを報道。警察の最初の発表では「彼はシリアへ行きたかった」とあったが、後日それが間違った情報であり本当はサウジアラビアに行きたかったのだと訂正された。
この事件をテロと呼ぶべきでないという人の意見の大半は、NDPのリーダーのThomas Mulcairに代表されるように、この犯人には大きな団体とのつながりはなく、精神病を患う個人による犯行であるため区別して認識すべきである、というもの。☆記事はここから
もう一歩ラディカルな意見としては、カナダはここ13年間アフガニスタンに兵を送ったり、CF-18戦闘機を過激派を倒すと言う名目で送ることを決め、「戦争」をしているのに、兵士が襲撃されたことを「テロ」というのはおかしいのではないか、というのもある。
☆その意見を述べた記事ここから
そして、私の友人のように兵士の立場から、「テロ」というラベルを貼ることで、この犯罪のコンテクストが詳細に吟味されなくなり、不必要に不安を煽ってしまう。落とされた命が政治の道具として使われるようになることに違和感を感じるし、複雑な背景が見えてきても、既に「テロ」という色眼鏡でみるので、正確に捉えずらくなると私の友達は指摘している。実際に被害者を知り、自分も兵士として狙われるかもしれないと言う恐れの中に身をおく彼の言葉が説得力を持って、心に迫った。
「ショックを受けているからこそ、サポートを示そうと思ってお葬式に行ったよ」
軍服を着た彼はちょっとやつれていて、目がとても悲しそうで、私はかける言葉も見つからなかった。
色んな視点から活発に議論が行われる。どんなことがあっても、友達どうして様々議論しあうところが、佐賀にいたときとちょっと違うなと思うところ。
「テロ」というラベルはアンチイスラムを助長すると言う意見も。
差別が増えていると言われる中、このビデオの中ではイスラムの格好をした人が
差別的な扱いを受けたらオタワの人たちはどういう反応をするかという「社会的実験」をしたビデオ。衝撃のエンディングです。
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