ストロベリーセレモニー
朝マイケルが起こしてくれて、バレンタインのチョコをくれた。だーいすきなSTUBBEのチョコレートボンボンとトリュフ!!
やっぴーーー!!!二月はお誕生日も結婚記念日もバレンタインもあるから、マイケルは超大変なので、バレンタインは二人で何かしようね、という約束。
「高いからいいのにー!」と言ってはみたものの、
ひとつ食べればもう、止まられない。
また買ってきてーー!!

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やっぴーーー!!!二月はお誕生日も結婚記念日もバレンタインもあるから、マイケルは超大変なので、バレンタインは二人で何かしようね、という約束。
「高いからいいのにー!」と言ってはみたものの、
ひとつ食べればもう、止まられない。
また買ってきてーー!!
STUBBEはオタワとトロントにあるドイツチョコレートのお店。
ちょっとお値段は高めだけど、おいしいチョコがたくさん!
私からはマイケルにクッキー。病気になる前マイケルはコーヒー中毒だったんだけど、ドクターストップがかかってコーヒーをしばらくやめてたら、飲めるようになって飲んでも全然おいしくなくなっちゃった。今では全然コーヒー欲しがらない。だけど、コーヒー嫌いになったのが寂しそうだったので、エスプレッソクッキーをつくってみた。
午後からはラヴィオリ作りの予定だったのだけど、どうしてもストロベリーセレモニーに行きたくて、ラヴィオリは明日に延期。
ストロベリーセレモニーは、先住民の人たちの儀式。行方不明、もしくは殺害された先住民女性のための儀式が今日おこなわれた。前も書いたけど、先住民女性はその他の人口に比べて殺害される確率が4倍も高く、事件に巻き込まれたときに警察が捜査する、またはメディアが取り上げる程度がとても低い。
よく最近"institutional racism"という言葉がアメリカやカナダのメディアで聞かれる。黒人、ムスリム、先住民、白人ではない人の命、人生が軽く扱われている、それは、個人が意図的にしているというよりも、政府などのinstituionがそういうシステムを作り、維持しているからではないのか。
*アムネスティインターナルのページによいまとめがあるのでもっと知りたい方はこちらから。
昨日の夜、ダンダススクエアでもMuslim lives matter というデモがおこなわれていた。
正午過ぎ、トロント警察の前にたくさんの人が集まった。
私も輪の中に加わると、イチゴとお水を渡された。
どうしてストロベリーなのか。
ストロベリーを縦に切ると、ハートマークに見える。心臓。命の象徴。
たくさんのファーストネーションコミュニティでいちごはパワーフルーツと呼ばれる。
オンタリオの地域の先住民、その周辺でも初潮を迎えた女性は一年間ベリー類を一切食べないらしい。そして、満月のときにコミュニティの大人女性と、初潮を迎えた女性が集まり、女性として大人になる上で大切なこと、コミュニティに受け継がれているお話や知恵、決まり事、アドバイスなどを話し合う。
このセレモニーは今でも行われている通過儀礼なんだそう。
いちごは、女性の、命の象徴。
そして、いちごセレモニーはここにはいない、遠くにいる人に呼びかけるときにも行われるそう。
そして、左手に持った水。命を生み出し、維持し、ときには殺すこともできる水は、生のサイクルを表し、また、女性の象徴でもあるのだって。
長老の合図で水を飲み、そして、イチゴをヘタの部分から食べる。
セレモニーの始まり。
ホワイトセイジのけむり。ドラム、チャンティング、うた。
寒くてたまらなかったけど、
家族を失った遺族の人たちのお話を聞いていると、涙が出てきて寒いのも忘れていた。
どれだけの思いでこの場に立ち、伝えてくれようとしているのか。
怒りや悲しみを、他のファーストネーションの人が叫び声にも似た音で空に届ける。
バレンタインは大好きな人に思いを伝えたり、時間を過ごしたりする日としてたくさんの人が過ごしている。今日の輪の中には、それが叶わない人たちがたくさんいた。
理不尽なニュースを耳にするたび、泣いてしまう私は、最近、泣いてしまった後に立ち上がって、誰かのために何かをするエネルギーに変えていく人を知る機会がいっぱいあった。ジャーナリスト、エイミー・グッドマンのお陰。
どうしようもない、やりきれないことがあり、家族が引き裂かれたり、命が奪われたりする。それが自分の身に降りかかった人たちが立ち上がって発する言葉に、「お前はなにやってるんだ」と、体を揺さぶられているよう。
道路の真ん中をプラカードを持って歩く。私が持っていたのは2003年に18歳で殺された女の子の名前。そのプラカードを渡されたとき、その重みがずっしりとして、涙が出てきた。
photo credit Fallon Simard
ナターシャとメリージェーンが横にいる。二人といろいろ話し合う。私たちにできることがあるか、ないかではなくて、大事なのは、やっぱり最初は知ること、本当の意味で理解することなのかなと思う。そのプロセスの中で、サポートを示せるし、輪を強くつくっていける。もしかしたら何かできることが見つかるかもしれないし、そのプロセスが他の人を巻き込み、その人が何かすることを見つけるかもしれない。自分の中で発しなければそのまま終わっちゃうけど、外に向けていけば、そこからどうなるかなんてわからないもの。
最近、私の中で何かが変わっている気がする。
何かわからないけど、迷いの時間が終わりに近づいている気がする。
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