1個にしぼる
メッセージで、
「いっぱいやりたいこと、興味のある分野がありすぎて、
どうやって一個に絞っていけばいいのかわからない!
きつねさんはどうされましたか?」
という趣旨の質問をいただきました。
ありがとうございます。
質問やメッセージはブログを書く上でとても励みになるので、とてもうれしいです。
私も同じ悩みがあり、ずーっとぐるんぐるんして、今でもその悩みがなくなったわけではありませんが、でもすこし分かってきたような気がするので、どんな感じなのか書いてみます。
大学生の時、同じ相談を大学の教授にしました。そしたら彼女は
「したいことを見つけるというより、人生の目的があなたを見つけてくれると捉えたほうがいい」
とアドバイスをもらい、なんのこっちゃ?とそれからいろいろ考えました。
私は高校の時家庭のことがいろいろあり、自分の将来や夢を考えるよりも日々をどう生きるか考えていました。とにかくそのときは貧しくて、自分の周りで起こることがつらくて、ここから出たい、その一心でした。大学の時も、四六時中バイトするか、英語の勉強しているかで、目下「苦しい日本を出ること」ばかりに集中し、あまり何をしたいか考えませんでした。ただ、日々の小さな幸せや素敵なこと、誰の目にも止まらないような小さなことを大切に伝えられる人になりたいという気持ちは物心ついた時から持っていたように思います。
米国に留学して初めて、自分の家やふるさと以外のことに目が向きました。そのとき目が向いたのは、将来家族を持つことの意味や、ふるさとの大切さ、人を愛することの喜びなどでした。
日本に帰ってきて、何が変わったわけでもないのにふるさとが心地よくなりました。ここで暮らしてもいいかもしれないと思春期から数えて初めて思いました。でも同時に、まだ何にもやってないやん、私。ここで出なかったらずっと後悔するかもしれないとジレンマに悩みました。
マイケルと結婚し、カナダに移住して「はて、ここからどうする」という疑問が湧きました。映画は好きでいつも見ていたし、書くことも好きで毎日書いてたし、読むことも好きで米文学で論文書いたけど、それが将来に直結するとは考えていませんでした。
でも、カナダに来て、働くことに対する考え方も変わりました。一生何か一つをする、という働き方、職業がその人となりを定義する、という考え方から、したいこといくつでもいいんだなと楽に考えるようになりました。トロントには、祖国で数十年お医者さんだった人がタクシードライバーをしていたり、教師だった人がマーケティングアナリストだったり、公務員だった人が映画を作っていたり。それは一個一個を適当にするという意味ではなく、それはもう秀でていないといけないのだけど、努力する覚悟があるのなら、良くも悪くも何度でも挑戦できるという意味です。
今ここで決めたからずっとこう、と型にはめて考えるほうが不可能なのかもしれないと感じるようになりました。
そう考えてから、まあなんでもやってみよう。
無理に選ばないで、チャンスに恵まれればなんでもノーと言わずにやってみて、精一杯やってみてしっくりくれば、それが自分の道かもしれないな。
翻訳や通訳の仕事も、教える仕事も、ドキュメンタリーの仕事もチャンスが見えたら全部ドアを叩いてみました。学生であっても関係ない。向こうからダメと言われない限りは叩くだけ叩いてみると決めていました。
翻訳のポジションから入ったドキュメンタリーの仕事がすごく面白くて、
アソシエイトプロデューサーを募っていたので、思い切ってアプライしました。
そのときは既に経験者の人が内々に決まっていたようですが、私と面接した後監督がその人の採用を取りやめて、私を雇ってくれました。
撮影など一緒にしていく中で、こんなに今までやりがいを感じて楽しかったことあったかなと思いました。そのときは並行して研究して論文も書いていたけど、そこでは味わったことのないワクワクでした。
そのとき、これは一生かけてやっていくプロジェクトにしたいなと決めました。
お金をもらってももらわなくてもいいから、この世界に関わっていける努力を惜しまないようにしよう。
映画は好きでもこの分野ど素人なので、いろんなところに顔を出し、仲間を集めてつくる初めてのドラマ映画が今取り組んでいる「バレンティーナ」。それからあといくつか声をかけていただいているドキュメンタリープロジェクト。
まだここにかける段階ではありませんが、もう一つ自分のプロジェクトが発信していて、来月から短期で夜間学校にも通う予定です。そしてもう一つの興味のある分野で新しいフルタイムの仕事をゲットすべく動いています。
こう書いてみると、全然今でも一個に絞れていないです。
だけど、絞れないうちは自分の中でまだ憧れだけの段階だったり、挑戦しきった感じがなかったり、力がないと感じていたり、何かストップがかかっていてまだ一つに決める時期ではないのかもしれません。
いろいろな状況があり、見切りをつけて「よし、これに決めた。」とやる人もいれば、どれも諦めきれないから、とりあえず全部やれるだけやってみるわという無鉄砲な私のような人もいると思います。
この「全部に挑戦」プラン。高校、大学の極貧困だった時代、やれなかったと思います。余裕がないから。だから、今、裕福ではないけれど、マイケルと一緒に普通に生活出来る今だから許される贅沢だと思っています。こんなに遠くで暮らすことを許し、応援してくれるふるさとの母や妹、姉にもとても感謝しています。
そして、高校、大学の時いろんなことがやりたかったけどやれなかった自分、そのときに黙々と頑張ってくれた過去の自分がいるから今、こうやって暮らせる自分がいると思うので、
あのときの自分に「なにやってんの、あんた」と言われないように、
出来る限りの事を今、許される限りでやってみたいなと考えています。
なんだか大分それましたが、結論は
私も全然絞れていないということです。
だけど、しぼらない、という選択もあり、
それが自然に淘汰されて一つになるのかもしれないし、いろんな事情で全部ダメかもしれないし、全部うまくいくのかもれない。
今全く選択肢にないことをひょんなことから選択するのかもしれない。
一個に絞れないととてももどかしいし、なんだかエネルギーを無駄にしているような気持ちになるし、そういうときは視野が自分の中にぎゅーっと狭くなりがちなので、
わからないときは、まず手近なものから飛び込んでみる。
とにかく人に会ってみる(自分の行きたい分野で働いている人や憧れの人など)
やってみて自分の実力を知る
というのが大切かなと思います。
でも、私もこのジャーニーの真っ最中なので、
これからもお付き合いいただけると嬉しいです。
メッセージ、ありがとうございました。少しでも参考になると良いのですが。
また何かあればいつでも教えてください。
「いっぱいやりたいこと、興味のある分野がありすぎて、
どうやって一個に絞っていけばいいのかわからない!
きつねさんはどうされましたか?」
という趣旨の質問をいただきました。
ありがとうございます。
質問やメッセージはブログを書く上でとても励みになるので、とてもうれしいです。
私も同じ悩みがあり、ずーっとぐるんぐるんして、今でもその悩みがなくなったわけではありませんが、でもすこし分かってきたような気がするので、どんな感じなのか書いてみます。
大学生の時、同じ相談を大学の教授にしました。そしたら彼女は
「したいことを見つけるというより、人生の目的があなたを見つけてくれると捉えたほうがいい」
とアドバイスをもらい、なんのこっちゃ?とそれからいろいろ考えました。
私は高校の時家庭のことがいろいろあり、自分の将来や夢を考えるよりも日々をどう生きるか考えていました。とにかくそのときは貧しくて、自分の周りで起こることがつらくて、ここから出たい、その一心でした。大学の時も、四六時中バイトするか、英語の勉強しているかで、目下「苦しい日本を出ること」ばかりに集中し、あまり何をしたいか考えませんでした。ただ、日々の小さな幸せや素敵なこと、誰の目にも止まらないような小さなことを大切に伝えられる人になりたいという気持ちは物心ついた時から持っていたように思います。
米国に留学して初めて、自分の家やふるさと以外のことに目が向きました。そのとき目が向いたのは、将来家族を持つことの意味や、ふるさとの大切さ、人を愛することの喜びなどでした。
日本に帰ってきて、何が変わったわけでもないのにふるさとが心地よくなりました。ここで暮らしてもいいかもしれないと思春期から数えて初めて思いました。でも同時に、まだ何にもやってないやん、私。ここで出なかったらずっと後悔するかもしれないとジレンマに悩みました。
マイケルと結婚し、カナダに移住して「はて、ここからどうする」という疑問が湧きました。映画は好きでいつも見ていたし、書くことも好きで毎日書いてたし、読むことも好きで米文学で論文書いたけど、それが将来に直結するとは考えていませんでした。
でも、カナダに来て、働くことに対する考え方も変わりました。一生何か一つをする、という働き方、職業がその人となりを定義する、という考え方から、したいこといくつでもいいんだなと楽に考えるようになりました。トロントには、祖国で数十年お医者さんだった人がタクシードライバーをしていたり、教師だった人がマーケティングアナリストだったり、公務員だった人が映画を作っていたり。それは一個一個を適当にするという意味ではなく、それはもう秀でていないといけないのだけど、努力する覚悟があるのなら、良くも悪くも何度でも挑戦できるという意味です。
今ここで決めたからずっとこう、と型にはめて考えるほうが不可能なのかもしれないと感じるようになりました。
そう考えてから、まあなんでもやってみよう。
無理に選ばないで、チャンスに恵まれればなんでもノーと言わずにやってみて、精一杯やってみてしっくりくれば、それが自分の道かもしれないな。
翻訳や通訳の仕事も、教える仕事も、ドキュメンタリーの仕事もチャンスが見えたら全部ドアを叩いてみました。学生であっても関係ない。向こうからダメと言われない限りは叩くだけ叩いてみると決めていました。
翻訳のポジションから入ったドキュメンタリーの仕事がすごく面白くて、
アソシエイトプロデューサーを募っていたので、思い切ってアプライしました。
そのときは既に経験者の人が内々に決まっていたようですが、私と面接した後監督がその人の採用を取りやめて、私を雇ってくれました。
撮影など一緒にしていく中で、こんなに今までやりがいを感じて楽しかったことあったかなと思いました。そのときは並行して研究して論文も書いていたけど、そこでは味わったことのないワクワクでした。
そのとき、これは一生かけてやっていくプロジェクトにしたいなと決めました。
お金をもらってももらわなくてもいいから、この世界に関わっていける努力を惜しまないようにしよう。
映画は好きでもこの分野ど素人なので、いろんなところに顔を出し、仲間を集めてつくる初めてのドラマ映画が今取り組んでいる「バレンティーナ」。それからあといくつか声をかけていただいているドキュメンタリープロジェクト。
まだここにかける段階ではありませんが、もう一つ自分のプロジェクトが発信していて、来月から短期で夜間学校にも通う予定です。そしてもう一つの興味のある分野で新しいフルタイムの仕事をゲットすべく動いています。
こう書いてみると、全然今でも一個に絞れていないです。
だけど、絞れないうちは自分の中でまだ憧れだけの段階だったり、挑戦しきった感じがなかったり、力がないと感じていたり、何かストップがかかっていてまだ一つに決める時期ではないのかもしれません。
いろいろな状況があり、見切りをつけて「よし、これに決めた。」とやる人もいれば、どれも諦めきれないから、とりあえず全部やれるだけやってみるわという無鉄砲な私のような人もいると思います。
この「全部に挑戦」プラン。高校、大学の極貧困だった時代、やれなかったと思います。余裕がないから。だから、今、裕福ではないけれど、マイケルと一緒に普通に生活出来る今だから許される贅沢だと思っています。こんなに遠くで暮らすことを許し、応援してくれるふるさとの母や妹、姉にもとても感謝しています。
そして、高校、大学の時いろんなことがやりたかったけどやれなかった自分、そのときに黙々と頑張ってくれた過去の自分がいるから今、こうやって暮らせる自分がいると思うので、
あのときの自分に「なにやってんの、あんた」と言われないように、
出来る限りの事を今、許される限りでやってみたいなと考えています。
なんだか大分それましたが、結論は
私も全然絞れていないということです。
だけど、しぼらない、という選択もあり、
それが自然に淘汰されて一つになるのかもしれないし、いろんな事情で全部ダメかもしれないし、全部うまくいくのかもれない。
今全く選択肢にないことをひょんなことから選択するのかもしれない。
一個に絞れないととてももどかしいし、なんだかエネルギーを無駄にしているような気持ちになるし、そういうときは視野が自分の中にぎゅーっと狭くなりがちなので、
わからないときは、まず手近なものから飛び込んでみる。
とにかく人に会ってみる(自分の行きたい分野で働いている人や憧れの人など)
やってみて自分の実力を知る
というのが大切かなと思います。
でも、私もこのジャーニーの真っ最中なので、
これからもお付き合いいただけると嬉しいです。
メッセージ、ありがとうございました。少しでも参考になると良いのですが。
また何かあればいつでも教えてください。
Kitsuneさん、
返信削除すてきなアドバイスありがとうございました☆
メールでも書きましたが、ひとつひとつ解きほぐいて丁寧に書いて頂き、本当に感謝しています。
わたしも、いま出来ることから始めていこうと思います。私も自分のジャーニーにもっと夢中にならねば。。明日からもまたブログたのしみにしていますね☆ Haruna