エジプトの親友

エジプトに親友のカザムがいる。コロラド留学時に寮のホールが一緒で、良く朝まで色んな夢を話し合った。留学後彼はエジプトに帰り、様々な若者支援の仕事をしてる。マイケルと結婚したとき、エジプトではエジプト革命(2011年)が起こり、ムバーラク政権の独裁にピリオドが打たれた。あのときも情勢が不安定で、結婚の日もとてもハッピーな気持ちになれず複雑な気持ちだった。

今回のクーが起こる数日前にカザムとメッセージのやり取りをした。カイロに住むカザムは変化を"depressing"のほかに表す言葉が見つからないと言っていた。彼は国連やアメリカの様々なメディアとつながりがあり、スポークスマンとして意見を求められることが多い。いつも前向きで強い彼が今回は、とてもつらいメッセージを送ってくる。「ここに住む人間の痛みがどれくらい伝わってるだろうか。」

今日彼から彼と家族の無事の連絡があり、安堵するものの、一日中不安な気持ちが続いている。CBCでトロントに在住で友人の葬儀のためにエジプトを訪れていたAmr Kassemさん(26歳)がスナイパーに撃たれ、死亡したことが報道されていた。彼の妻の話によると、葬儀のためにエジプトを訪れたものの、無差別な暴力に自分も何かしないといけないと思い、非暴力プロテストに参加したそう。コメント欄のイスラムに対する差別的発言に、「寛容」と言われるカナダでもこんなに偏見は根強いのかと唖然とする。

Globe and Mail のページ

冬タームと夏タームでずっと一緒に活動した友達にルワンダの虐殺を生き延びたアマリがいる。彼は自分の体験談を話すことで、犠牲になる普通の人の痛みを多くの人に知ってもらいたいと思い、虐殺がもうおこらないようにと、教育団体を立ち上げる準備をしている。

彼のプロジェクトを手伝う中で、手触りというか、「何か遠くのところでおきているひどいお話」というレベルから生身の人間が、大きな力の前に苦しむことを、もっと感覚的に捉えるようになった。だけど結局、私は本当にわかってない、無力で、何もできない。

「無事だよ。だけど本当につらいよ。」と、今エジプトからメッセージを送るカザムに、私はなんと言葉をかけていいのかさえ分からない。

世界は広い。いろんなことがたくさんの場所であっている。全部に注意を払うのは無理。だけど、大切な人が苦しいとき、私にはおしはかる力が、無さ過ぎる。ニュースを読んで、泣いてるだけで本当に情けない。トロント内では、カナダ政府が国連に事態の沈静化に向けて積極的に行動するように求めるラリーが起こっている。

ラリーのリーダーの見解

エジプト国内の様々な声、そしてアメリカからの武器の流通。あまりこのブログには生活以外のことは書かないようにしてるけど、でも、ここ数日このことばかり考えていたので、書いておきたかった。

エントリーの最後にカザムの2011年5月に言葉を引用。

I sat in a local cafe watching a local shop being re-painted. People were excited about the process; the shop owners; the ones who paint; the spectators. I made no efforts to come up with such an observation, but I wonder: if the shop could speak up, would it endorse the change? When tomorrow comes up, would the new look be as "excited" as it is now, or would it even be noticeable at all? Who will remember the history of the shop?... I wonder how often we do "re-paint" our belongings, including our values, not knowing that only very temporary (and probably fake) happiness is yielded.


訳)近所のカフェに座って、カフェの壁が塗りなおされるのを見ていた。その過程に沸き立つ人々。カフェの店主達、ペンキ塗りの人たち、そして見物人。そのごく自然な観察の後でふと、考える。もし建て物自体が話せたら、それは塗り替えを支持するだろうか。明日、塗り替えられた建物を見て人々は、今のように「沸き立つ」だろうか、それとも、案外誰も気に留めないのだろうか。一体誰がこのカフェの歴史を覚えているのだろうか。・・・一体何回僕たちは、持ち物を、それは価値観をも含むのだが、「塗り替える」のだろう。その変化はただ束の間の(そしておそらく偽物の)幸せしか生み出さないのだとも知らずに。

コメント

人気の投稿